卒業生インタビュー 01

「何かに打ち込む」

ユーピーアール株式会社
代表取締役 社長執行役員 酒田 義矢さん
(取材日 2020年11月)

東京で山口県宇部市出身と伝えると、「知ってますよ」との反応が増えてきた印象はありませんか??
それは母校先輩のご活躍による影響が少なくないと思います。

宇部高校卒業生には、既に著名な方々以外にも、たくさんの活躍卒業生がいらっしゃいます。先輩方もかつては宇部高校で田舎の学生として過ごしていました。そんな活躍している卒業生をみなさんにご紹介する企画です。
トップバッターは、ユーピーアール株式会社の酒田社長にお願いしました。

―現在はどのようなお仕事をされているのですか?

(酒田さん)主に物流事業関連で主力事業はパレットレンタル業です。パレットというのは物流用の荷物を載せる台のことですね。なかなか一般の人にはなじみがないですが、パレットなしでは物流は回らないといえるほど、物流を支える大切なインフラなんです。

―なぜ、ユーピーアールという社名にされたのですか?

(酒田さん)UPRは、U(宇部)P(パレット)R(レンタル)の略です。もともと「ウベパレット株式会社」でしたが、2007年に社名をユーピーアール株式会社にしました。パレットレンタルのほかにも、パレットの追跡システムや、カーシェアリングシステムなどに事業領域を拡大していましたし、全国に拠点配置も進めていましたので、ウベパレットより広い範囲のイメージを与えられるかなって(笑)。

―そういった事業の拡大はどのような観点でされているのですか?

(酒田さん)まずは社是である「社業を通じて社会に貢献する」や、当社の事業原点である「パレット通じて人々の生活を便利にすること」に外れないことが1丁目1番地です。 そして、当社が目指す企業像は「地球と人を尊重する会社」なので、環境対応しながら人々の生活が便利にする、社員が誇りを持って取り組めるようなことは何か常に考えてますね。

―今はパレットレンタルだけにとどまっていませんよね?

(酒田さん)そうですね。その他の事業としては、次世代型対応ビジネスとしてアシストスーツ、物流IoT、ICT、ビークルソリューション事業を展開しています。また東南アジアを中心に4か国で海外現地法人を設立し海外展開も進めています。

 時代の変化に対応して事業展開をすることを心掛けています。 そうやって将来こんなもの(こと)があったら便利だな、ということを我々の方から働きかけるという形でやっています。そうしてなかったら、パレットレンタル業の域を超えていなかったと思うんです。現在のビジネスをやりつつ、常に新しいところにアンテナを張ってやっていくということをやってきた結果がどんどん新しい事業に拡大していったのかな。

―では、高校時代はどういう学生だったのですか?

(酒田さん)真面目な学生でしたよ(笑)。僕は3年間男子クラスで、バスケ部でした。女子と関わることもほとんどなかったし、学校いってもやることはバスケばかりで。本当に部活ばかりやってました(笑)。

―高校時代の忘れられない思い出や、印象に残っている先生はいますか?

(酒田さん)やっぱり部活の先輩との思い出ですね。57年卒の実行委員長をやられたFさんなど。当時の顧問が体育のH先生だったんですが、水泳部を新設することになって、H先生は水泳部の顧問に異動になったんですよ。もともと水泳をやられていたとかで。それで、新しい顧問が生物のS先生になったんです。バスケ未経験のS先生は最初「バスケは何人でやるんだ」と聞いてきましたからね。それでF先輩たちが校長室に直談判にいってくれたんです(笑)。「後輩が今せっかく強くなってきているときだから顧問を変えないでくれ」って。

―結果はどうでしたか?

(酒田さん)変わりませんでした(笑)。でも、そんな感じで先輩たちとがむしゃらにバスケをやっていたのが一番の思い出ですね。あとはまあ普通の高校生でしたよ。

―大学進学で上京されていますが、東京に対して何か強い思いがあったのですか?

(酒田さん)とにかく宇部から一度は離れて生活したかったんですよ(笑)。バスケばっかりやってて、3年の夏に受験勉強始めても当然間に合わなかったんです。姉が東京にいたということもあって、共通一次が終わった時点で、大都会に行って頑張りたいと思い始めました。それで浪人も東京ですることにしたんです。

―早稲田大学を選んだ決め手は?

(酒田さん)宇部高は国立志向なので僕も現役時代は5教科7科目だったけど、浪人時代は受験科目を私立の3科目に絞りました。それで、せっかく東京に出てきたからには私立のトップクラスを目指そうかなって。 早稲田か慶應って思ったけど、なんとなく僕のイメージは慶應ではなく早稲田だったんです(笑)

―東京に出てきて正解でしたか?

(酒田さん)もちろん(笑)。

―大学時代はどんなことしてましたか?

(酒田さん)浪人時代の反動からか勉強より自由を楽しんでいたかなぁ、大学生活はサークル活動とかで謳歌させていただきました。 ゴルフ&スキーの同好会とかいうちょっと緩いやつに(笑)。ゴルフ中心にやっていて、週末は軽井沢のゴルフ場でキャディーのバイトとかしてましたよ。

―ゴルフは今の社長業に役立っていますね。ところで大学卒業後はなぜサラリーマンをされたのですか?

(酒田さん)いつかは帰らなきゃと思っていたけど、せっかく東京に出てきたからには社会を知りたくて。当時は商社とか金融が人気だったけど、材木屋の三代目としてモノづくりを知るべきだと思ってメーカーに入りました。就職活動は縁だと思っていて、最初に内定をいただいた企業を選んだんです。

―その後、宇部に帰られたきっかけは何だったのですか?

(酒田さん)僕は人生を3分割して考えているんですよ。30歳まで親に好き勝手させてもらったので、60歳まで家業で恩返しをして、90歳までの30年間は自由にしたいなって当時から思っていました。だからサラリーマンを7年して、30歳の時にスパッと山口に帰りました。

―宇部に帰ってからは何をされていたんですか?

(酒田さん)まずは父が社長をしていた宇部木材に入社し、その後、関連会社であるパレット製造業のウベパレットに異動してすぐ実質責任者になりました。当時はバブルも崩壊して日本経済は停滞していたんです。そこで、木製パレット製造業は付加価値が低く、事業展開にも限界があり、既に取り組んでいたパレットレンタル業は将来性が高く、各地に拠点を増やせるって思ったんです。僕も東京にずっといたから、出張で全国に行く仕事も作りたかったし(笑)

―では、現在やられているコアビジネスはすべて酒田さんが作られたのですか?

(酒田さん)いいえ。徐々に製造業からレンタル業に業態を僕が変えてきたって感じですね。最初は業界の経験が全くなかったのに責任者となったので、何かと悪い面に目がいき、いろいろ、業務改善に取り組んでつもりでしたが、今振り返ると、頭でっかちになっていたことも多かったと反省しています。ただ良い会社にはしたいと思っていたので、最初は辞める社員も多かったですが、理解して、ついて来てくれた社員もいました。その方々のおかげで今があると感謝しています。そして、親父が既にパレットレンタル事業を始めてくれていたから、伸ばすことができたんだと思います。

僕もゼロからじゃ何もできなかっただろうし、親父にも感謝してます。

はっきり言って、僕が入社した当時は「この会社に入社してみて、新卒であったなら、この会社に絶対に入社したくない」って思ったんです(笑)

だから新卒の人が「この会社に入りたい」とか、社員が自分の子どもも「うちで働かせたい」って思ってもらえるような会社にしたいといつも考えてます。まだまだ満足はしていませんが、理想には近づいているとは感じています。

―最後に現役の宇部高生に学生生活でのアドバイスはありますか?

(酒田さん)なんでもいいから打ち込むのがいいですよ、勉強でも部活でも音楽でも。高校時代はこれからたくさん可能性があるんだから枠を決める必要はないんじゃないかな。いろんなことをやってみることが大事だと思いますよ。やるって決めたらしっかりと取り組むこと。合わなかったら辞めるのもいいし。何かに打ち込んだ経験が大切ですね。

左から 桝本(H29卒)、酒田(S58卒)、西村(S48卒)、松永(S61卒)

ユーピーアール株式会社 https://www.upr-net.co.jp/

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