卒業生インタビュー 02

「自分のできそうなことを一生懸命」

厚生労働省
大臣官房参事官 宮本 悦子さん (取材日 2020年12月) 
1987年卒業

―現在、厚生労働省の中ではどのようなお仕事をされているのですか?

(宮本さん):現在は厚生労働省(以下厚労省)となっていますが、私が働き始めた時は労働省でした。今の若い世代の方々には想像もつかないと思いますが、昔は女性の就職が非常に大変だったんです。民間企業も役所もかなり厳しくて。でも労働省は昔から女性を採用していて、女性が活躍できるフィールドもありました。それなら労働省に入りたいと思い受けたところ、たまたま採用していただいたんです(笑)

今は人事課で仕事をしています。人事っていうと、「この人には、次にどこで活躍してもらおうかな。」って事を考えるような、楽しそうな仕事だと思いますよね。でも実際は、色々な研修を実施したり、体調を崩した人のケアをしたり、けっこう雑多なことも多いです。個々のキャリアから、どうすればこの人が職業能力を身につけられるのか、っていうことを考えて配置していくような…。そんな内容ですね。

―今年はコロナ禍でお仕事は大変でしたか?

(宮本さん):大変でした(笑)。
普通の仕事に加えてコロナ関係の仕事もあるので…。もちろん感染症対策っていう大変さもあります。でも、対策ってコンピューターがやってくれるものじゃなくて、人を配置しないといけないんです。忙しくなってきた、となると追加で人を派遣しないといけなくなります。人って生えてくるものじゃないので、調整が非常に大変です。あらゆる人が納得とまではいかなくても、仕方がないなって思える程度には調整し、人を説得するというのが結構大変ですね。

私はここに来る前(2020年8月)、職業安定局にいたんです。そこではコロナ対応でも話題の雇用調整助成金に関する仕事もしていました。担当していた当時は本当に忙しかったですね。2020年のゴールデンウイークは、大臣をはじめ役人のトップもみんな出勤して仕事していました。

―宮本さんは、愛知県副知事もされましたが、きっかけは何でしたか?

(宮本さん):私の前任者も厚労省からの女性副知事だったんです。その方の後任ということで私が行くことになりました。

愛知県には副知事が4人いて、そのうち3人が本庁に1人が東三河県庁に勤務するんです。本庁では3人が役割分担して、私は福祉・医療関係、県民生活や文化芸術関係、女性の活躍とか、病院とか会計関係とかそういう仕事を担当していました。予算や人事は3人の副知事が共通で担当していました。

宮本さんご自身、女性の活躍の場が少ないとおっしゃられていましたが、副知事時代には女性の就職支援や働きやすい環境などについてどう考えられていたのですか?

(宮本さん):常に女性が活躍できるように、働きやすい環境づくりを心掛けていました。だんだんと女性が職場に入りやすくなってきたとは思うんですけれど、難しいのはその後です。いかに活躍していくか、ということが問題になります。女性の場合、結婚や出産というライフイベントがあって、特に出産はすごく大きいですよね。復帰後に、どう仕事と両立していくか、どうキャリアを積んでいくか。

日本は管理職の女性の占める割合がとても低いんです。愛知県もやはりその傾向があって、そこでいかに登用してもらえるかということについて、いろいろ講演活動をしていました。

ネットでも、宮本さんの講演についての記事をたくさん拝見しました。

(宮本さん):知事メッセージというものを作ってもらって、「知事がこんなこと言ってますよ!」と色々な団体を回りました。最初はおとなしく経済団体などに行っていましたが、だんだん物足りなくなっちゃって(笑) それからは色々な商工会議所にも行きました。「お話しする時間をいただけませんか」と。商工会議所では幹部が集まる会議がありますからそこでPRしたり…。他にも運輸業界とか女性がなかなか集まらない所で、「こうやったら女性が集まるし、良いですよ。」なんて話したり(笑)

常に「どこでも行きます」って感じで。時には建設業や地方整備局の方に頼まれて、女性の活躍する画が撮りたいと言われたこともありました。「トンネルか橋か道路かの建設現場に行って、職員と意見交換をしてください!」と。(笑)

あらゆるところに行って、気づいたことがありました。実は、市役所は女性が多く登用されているところと、そうでないところの差が激しいんです。市長さんの意識の差でしょうか。そこで管理職の女性比率を表すグラフを作ってもらいました。そこで、割合の低い市などに押しかけ講演をすることにしたんです。市長さんも副知事が来るとなると挨拶にいらっしゃるので、「女性の活躍について講演に来ました。ちなみに貴市はこのくらいです。」なんて言うと「おお…。そうですか…。」と苦笑いされたり。

振り返ってみたら講演や対談などの回数は100回を超えていました。愛知県副知事の任期を終えて帰る前の議会で「2年間の思い出を語ってください」と言われたので、その事をお話しさせてもらいました。2年間とても楽しかったですよ。

―愛知県副知事もされ、今も厚労省で大変お忙しいとは思いますが、宇部との関りはありますか?

(宮本さん):実はけっこう帰っているんですよ。娘が小さいころは年に3回帰省していました。毎年お正月とゴールデンウイークと夏休みに。東京に来てもらって一緒に住んでいる私の両親が、宇部の人なので、宇部に帰りたがるんです。娘はおじいちゃんとおばあちゃんと一緒にいたがるので、長期休みは家族で宇部に移動するという感じですね。休みが始まると先におじいちゃんとおばあちゃんが帰って、私と娘が後から追いかけるんです。それで1週間くらい居て東京に戻るっていう感じです。

―ご出身は西岐波でしたよね。

そうです。

宇部に帰ると行かなきゃいけないところがたくさんあって、すごく忙しいんです。まず、娘は東京で服を買わないんです。お小遣いをためて宇部に持って帰るんです。いとこが山口にいるので、一緒にサンパークとかフジグランに繰り出して、そこで豪遊して全部使うっていう(笑)

夏は床波の海で遊んだり、冬は除夜の鐘をつきにいったり…。

―どのお寺の除夜の鐘ですか?

(宮本さん):西岐波にある西光寺ってご存知です?昔はたくさんの人がつきに来てたと思うのですが、この頃誰も来ないんです。それでつき放題。ご自由に、って感じで。夜中の真っ暗な中懐中電灯を持って歩いていって、ガンガンつくのが面白いんです(笑) 最近は娘も大きくなったので、あまり行かなくなりましたが…。。

西光寺の裏手には、古い家が密集していてごちゃごちゃしているところがあるんです。そこを子供たちが小さい頃は探検していました。「あっちかな、あ、間違えた」って言ってどこに辿り着くかわからないのがすごく面白いみたいです。

あと、海水浴場の手前の綺麗な砂浜で貝掘りもしていました。今はもうできなくなっちゃいましたけど。

―風情ある場所がたくさんありますね。

(宮本さん):他にも東京ではできないのがお餅つきと流しそうめんですね。私の妹が「お父さん流しそうめんやりたいから、装置を作ってよ。」と言ったら、父がプラスチックの雨樋を買ってきて、木で脚を組んで一生懸命作ってくれました。餅つきは、うちは昔から杵と臼でおじいちゃんがついてくれていたんです。今はみんなでやってます。お餅を丸めるのって難しくて、私はやっと上手になったんですけど、娘がやると餃子みたいになっちゃうんです(笑) 東京ではできない楽しいことがたくさんあるから、娘は宇部が大好きです。宇部に住みたいって言ってます。

―高校時代は、どんな学生生活を過ごされましたか?印象的なエピソードや部活動の話などあれば、お聞かせください。

(宮本さん):高校時代の部活動の話はあんまりしたくないな…(笑)。これは私のトップシークレットなんですけど、柔道部にいたんです。あ~、もう絶対誰にも言っちゃだめ、この話は全部カットですよ(笑)

部活は中途半端でやめちゃったし…。当時、顧問がM先生で、すごく強烈だったんです。でも、女子生徒には甘かったかなあ。

―得意な教科は何でしたか?

(宮本さん):もともと数学は好きでした。でも理系でやっていくには無理だと思って、3年の秋に文転しました。理系の才能ないなって思って。

―京都大学の法学部に進学されていますが、文転される前はどういう進路を考えられてたんですか?

(宮本さん):文転する前は理学部に行きたいなって思ってました。でも、進路相談の時に先生から「理学部に行ってどうするの?」って聞かれたんです。「研究とかしてみたいです。」って言ったら、「女性は就職ないよ。」って言われちゃって(笑) でも先生の言う通りで、確かに理学部だと基礎研究とか多いし、基本的に研究は長期にわたるので女性には厳しいんじゃないかなって思ったんです。どうするか悩んでたところ、すごく仲のいい子が、「私、法学部を希望するの」って言ったので、「そんな学部があったんだ!」って感じで(笑)

いろいろ話を聞いてると潰しが効くなって思ったんです。法学部って受験科目が少なくて、物理をやらなくていいんです。二次試験も国語、数学、英語、論文だったかな? とにかく、共通一次さえ取ったらあとは勉強をあまりしなくて済むので、じゃあ法学部にしようって決めました。私は京大の中でも簡単な科目を選択して受けたから、本当にたまたま受かったんです。模試の成績とかもすごく悪くて、言えないですよ(笑)

ついでに言うと、公務員試験もたまたま受かって、厚労省もたまたま採用してもらって…。

―当時はその後官僚になるなんて想像していませんでしたか?

(宮本さん):想像しなかったですね。宇部の田舎で、東京のことも何もわからないし大学も知らないし。親はもともと干渉しない人だったので「好きにして」って言う感じだったんです。

本当に思いがけないことだらけですよね。

―どのような大学生活でしたか?京都での思い出などありますか?

(宮本さん):京大はすごく強烈で、そこから私の新たな人生が始まったって感じでしたね。全国から人が集まってるし、すごい人とか面白い人がたくさんいるんです。こういう世界もあったんだって、刺激を受けました。

京大って昔は全然勉強しなくてもよかったんです。当時は西の京大・東の一橋って言われるくらいゆるい大学でした(笑)。今は違うと思いますけど…。

当時は必修とかなくて、とにかく単位が揃えばいいんです。学期の頭の履修登録とかも一切ないし、授業の出席も取らないんです。試験期間になると試験の時間割をじーっと見て、簡単そうなやつを選ぶんです。そうしたら、試験対策委員会がノートのコピーを作って回してくれるんです。それを前日に死に物狂いで暗記して、試験を受けていました(笑)

でも進路を考える、って時に、女性の先輩に「女子学生の就職ってありますか?」って聞いたんですよ。そうしたら、「女に就職はない」って言われてしまって。さすがにどうしよう…って思いました。司法試験は難しいし、国家公務員なら頑張れるって思ったので、1年くらい勉強しました。試験前は勉強しましたが、たまたま通ったって感じです(笑)

―適当に人生歩みました、みたいに仰られてますけど、京大法学部に行かれて、愛知県副知事も勤められてるじゃないですか。

(宮本さん):いやいや、本当に運が強いんです。人生運だけって感じで(笑)

―大学時代の甘い思い出はありますか?

(宮本さん):そんなの言えないですよ〜(笑) でも、一応、今の夫は大学の同級生です。

―「一応」、どころか素敵ですね。

(宮本さん):それこそ宇部高時代の話だと。。。

当時の学生手帳に「男女交際禁止」って書いてあったんですよ。でもやっぱりみんな憧れのラグビー部の〇〇さんとかいましたよね。当時の宇部高は、男子の校舎と女子の校舎が完全に分かれてたんですよ。だからもう女子校状態。でもそれはそれで楽しかったです。

普段は男女が完全に分かれているんですけど、年に1回のクラスマッチになると男女のクラス同士で組んでましたよね。

―ありました。男子より女子のほうが少ないから、あぶれるクラスが出てきちゃう(笑)。組み合わせが成立したクラスでは、 お互い応援し合うんだよね。女子の方に男子はハチマキとか作ってもらって。

(宮本さん):男子がそれ巻いて競技に出るの。女子がそれを応援して。甘酸っぱいでしょ!ジュースとかお菓子だけだけど、打ち上げを男女一緒に教室でやるんですよ。

―女子クラスの方が少ないから、男子は事前に組みたいクラスに申し入れに行くの。「1組ですけど組んでくれませんか」って。そうすると女子が「5組からも言われてるんだよなー」なんて言って品定めしてる感じで。

(宮本さん):大体格好いい人がいるクラスに決まりなの(笑)。 あともう一つ修学旅行の時に、いきなり先生が「明日のバスは男女混合にします。」って言い出したんんです。いきなりすぎたけど、何だか甘酸っぱかったですね(笑)

―今思い出すと楽しい思い出ですよね。
最後に、現役の宇部高生に何かメッセージやアドバイスをいただけませんか?

(宮本さん):そうですね、… 。

まず、宇部を離れて関西や関東に進学したい人には、今の宇部での生活を楽しんで欲しいなって思います。宇部は一度出てから、その良さがわかるってところです。あと、高校時代の友達って一生の友達なんです。だからたくさんの友達を作ってほしいですね。それから、みなさんに言いたいのは、何事も恐れず全力投球で頑張ってほしいってことです。高校時代って親に庇護されてるし、失敗しても助けてくれる人はいるので。そうするといろんな結果がついてくると思います。

実は、私も高校時代にすごいスランプがあったんです。文転したのも、数Ⅲがどうしても苦手で「もうだめだ。」って思ったのがきっかけでした。自分の能力の限界を感じて。文系だったらできるかもしれないって思って文転を決めました。誰でもスランプはあると思うけど、そこでとにかく目標を見つけることが大事だと思います。

大学の時も、とてもじゃないけど司法試験は能力的に無理だと思ったんです。他にも色々な理由はあったけど、自分は国家公務員の試験を頑張ろうって決めました。労働省に入ってからも、常に「ここなら自分もできそうだ」っていうのを見つけました。「自分のできそうなこと」っていうのを一生懸命やろう、頑張ろうってするのが大切だと思います。副知事の仕事も「講演ならできる!」ってことで頑張りました。色々な役割があって何をするかすごく迷いましたが、自分にできそうなことや得意なことって何だろうって探しました。見つけたものが講演でした。

高校時代って色々悩むだろうし、挫折はあると思います。でも、自分のできることを見つけることができたら、次の未来が待っているので、諦めないでほしいです。

宇部に残る人は宇部の発展のためにぜひ頑張ってほしいです。宇部はポテンシャルがものすごく高いので、地元を引っ張っていくっていう気持ちを持ってもらいたいです。 未来は今、本当に混沌としてますけど、宇部高でできることを一生懸命すれば必ず未来は開けます。

左から 桝本(H29卒)、宮本(S62卒)、西村(S48卒)、松永(S61卒)

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